アドセンスイメージ画像

世界遺産 日本の魅力2008年7月 »

最新記事【2008年6月30日】

銀閣寺とかかわりの多い人物室町幕府8代将軍義政は偉大な祖父義満恐怖政治をした父義教そりの合わない妻日野富子早世の息子義尚のなかにあり実に悩ましかった。
政治家としていまいちだった彼は、美の探究を心のよりどころとした。足利家はもともと美術品には興味津々の家柄で美意識の高さは生来のもの。生まれてこの方、最高峰のものばかりに触れてきた環境も審美眼を磨く助けになったに違いない。美に囲まれる生活は、義政の今生の幸福。その理想を形にしたのが東山殿(銀閣寺)である。隠栖地として造営した東山殿(銀閣寺)は、当時最高の建物、庭、絵画工芸品を集めたお宝屋敷。構想には20年をかけたとか。
目玉は銀閣、他には創建当初の東求道、あまたの妄想が膨らむ銀沙灘、向月台なども。何度通っても飽きないよさは、一流ミュージアムの魅力にも通じる。

銀閣寺の見所
風流を好んだ室町幕府8代将軍足利義政の隠栖の地で、没後に禅寺となる。正式名は「慈照寺」。
現在の書院の手本となった同仁斎や銀閣(観音殿)は政義時代の遺構で、東山文化独特のわびさびが感じられる。本堂前に広がる砂で作られた向月台・銀沙灘(ぎんしゃだん)や、与謝蕪村や池大雅ら大家による襖絵も味わい深い。

銀閣寺の書斎サイズは四畳半
義政の持仏堂として建立された東求堂。
内部は四つに分かれ、阿弥陀如来、義政像を安置する部屋のほか、義政の書斎で、現存する最古の書院座敷「同仁斎(どうじんさい)」も残る。
部屋の大きさは四畳半。付書院の飾り棚には茶道具などを並べていた。今では珍しくない四畳半サイズと付書院のお飾りの元祖となったこの部屋は、義政が気の合う仲間と集うサロン的な場所だった。

銀閣寺の生みの親は貧欲な演出家
美しいものを見たり、集めたりするのに一番情熱を燃やした義政。立派な屋敷にも足を運び、東山殿を造営するとなると手本の金閣寺にも何度もあがるマメさもあった。
芸術に対する行動力と優れた審美眼はピカイチ。
いい物をそろえるのにありがちな多少の困難はものともせずの男。

銀閣寺の襖キャンパス
義政はド派手路線の祖父を持つ反面教師にしたのか、とにかく渋く、侘びさびの趣である。
成金趣味にならなかったのは、本人のセンス+周りの助言。
周囲の文化に、知識に明るい人間をおき、その助言を素直に聞き入れていたのだ。
義政の意向を酌んでか、彼亡きあとに描かれた襖絵も、与謝蕪村や池大雅、奥田元宋などの巨匠が描いている。

銀閣寺の不思議の庭
銀閣と東求堂の間の銀沙灘&向月台は、白川の砂で造った庭。モダンな向月台のフォルムに、義政イズムを感じたいところだが、これが造られたのは江戸時代後期だとか。
神仙世界を主題にしたお庭のミズテリーゾーンは、姿形にも時代ごとに変遷が見られ、由来も作者もいまだに不明だ。
一説には、錦鏡池(きんきょうち)に積もった山盛りの白砂を利用するためとも伝わるが、真偽のほどは定かではない。

銀閣寺の50mエントランス
寛政12年(1800年)再建の総門を入ってからは、全く見通しのきかない生垣をめぐらせている。お宝(銀閣寺)が見えないと余計に気持ちが高ぶり、思わず足早になるかもしれないが、そこは我慢を。
義政が東山殿で表現したかったのは、極上のアートに囲まれた浄土の世界。
俗塵の戯れを払う装置として50mは必須かも。美しく整えられた銀閣寺垣は、椿が開花する3~4月頃が見ごろ。

銀閣寺に入魂
義政が亡くなってから完成した銀閣。もっとも銀閣と呼ばれるようになったのは江戸時代からで、当初は観音殿で通っていた。
金閣寺に似てるな」と思ったあなたは正解。
銀閣は祖父の金閣寺にならい、さらに祖父も参考にした西芳寺の瑠璃殿にならっているのだ。義政は、おじいさん同様、西芳寺が大好きだった。
それを表すように、造営当初の東山殿は瑠璃殿にそっくりだったとか。

銀閣寺と華道の開花
茶を喫し、香りを聞き、歌を詠んだ隠遁生活、そこに開花したのが東山文化。
文化文化芸術方面にかけては、当代きっての才能をみせた義政は、関係者にとって最上の人であり、崇拝の対象であった。
生け花の流派の一つ、無双真古流は義政を流祖あがめている。無双真古流とは、江戸時代に九州で興った流派。
流祖が義政ゆえに、銀閣寺が大本山になる。。そんなわけでお花柄アイテム急増。

参考になるサイト
銀閣寺【日本の世界遺産】

銀閣寺Ginkakuji
左京区銀閣寺町2 ℡075-771-5725
拝観時間 8:30AM~5:00PM
12~2月末
9:00AM~4:30PM
拝観 一般500円
小・中学生300円

特別公開
本堂・東求堂1000円
本堂・東求堂・弄清亭2000円
※要予約・要問合せ

臨済宗天龍寺派の大本山かつ京都五山一位と超エリート、嵐山という好立地もポイントの「天龍寺」。超ド迫力の雲龍図とともに、多くの参拝者が最も楽しみにしているのが、この美庭鑑賞だろう。
史跡・国の特別名勝第一号であり、偉大な禅僧・夢窓疎石が作庭した池泉回遊式の曹源池庭園で・・・、と聞くと格式張った名庭という印象だが、意外や意外、方丈の縁側で足を伸ばしながら眺めるもよし、庭の淵ギリギリに引かれた柵のところで記念撮影するもよし、というオープンさ。鑑賞の仕方も同様で「決まった見方なんてありません。自身で想像するのが一番」とは住職の言葉だ。
自由すぎるようにも聞こえるが、自分の力で想像できる=落ち着いている状態とはすなわち、禅の精神である"自身の対峙する心"の表れ。実は最も正しい見方なのだ。

天龍寺の見所
足利尊氏が政敵の後醍醐天皇の菩堤を弔うため、暦応2年(1339)に創建した臨済宗の禅寺。
寺の建設資金調達のため天龍寺船という貿易船が作られたことでもしられる。初代住職・夢窓疎石が整えた池泉回遊式庭園がすばらしく、法堂の天井に描かれた八方睨みの「雲龍図」も必見の大物。

参考になるサイト
天龍寺【日本の世界遺産】

天龍寺Tenryuji
右京区嵯峨天龍寺芒ノ馬場町68 ℡075-881-1235
拝観時間 8:30AM~5:30PM
11月21日~3月20日は ~5:00PM
拝観 一般500円
小・中学生300円
(諸堂参拝は+100円)

見事な庭園で多くの人を魅了し続ける龍安寺「流行のイベントは行わない」という見事なまでの潔さ。それでも、参拝客がひっきりなしに訪れる理由は、やっぱり枯山水庭園・石庭の魅力があってこそだ。
応仁の乱、そして1797年の大火災をも生き延びたこの庭は作者・作庭意図ともにいまだに闇の中。白砂に配された、どの位置から見ても15個すべては見ることはできないという石の配置も、想像力を掻き立てて止まらない。諸説は飛び交うものの、結局は「見た人のお好みのままに」が正解ってことか。
砂を空と見れば石は山となり、海と見れば島になる。その時に見えた解釈こそが、その瞬間の自身の心を写すのだとしたら、石庭は見るものにとっての心のバロメーター。見るたびに違って見えるのもまた、納得。

龍安寺の見所
応仁の乱の東軍総帥・細川勝元が徳大寺家の山荘を譲り受け、義天玄承を迎えて宝徳2年(1450)に禅寺として開山。伽藍は応仁の乱で焼失したが、有名な枯山水の方丈庭園は残り、深淵な禅の世界を今に伝える。
寺南側は広大な回遊式庭園なので、2種の庭を味わい比べるのも一興。

龍安寺の吾唯知足(われただたるをしる)
釈迦の言葉「知足のものは貧しいといえども富あり、不知足のものは富めりといえども貧しい吾唯知足(われただたるをしる)」を図案化したつくばい。
金持ちでも満足できない人はできないし、貧乏でも感謝の心を持てば満足できるという教えだ。龍安寺にある本物の雰囲気はそれはイイ雰囲気だ。

龍安寺のの見所は石庭だけにあらず
「龍案寺の見所は石庭だけでしょ」なんておお間違い。庭は他にもあるんです。せっかく来たなら苔蒸す緑の庭、睡蓮溢れる青い鏡容池だって制覇したい。3つの庭を比べてみるのもまた一興。いざ、1寺で3度おいしいお値打ちコースへ。

まずは、やっぱり王道・石庭から観賞スタート。正面中央に座って庭を望めば15個の石がすべて見える、との説もあるがその真相は?

石庭を見た後は、方丈の回廊を伝って苔庭へ。秋季には苔庭から見える紅葉の赤と苔の緑のコントラストがなんとも鮮やか。雨の後もまた違う趣。
京都の紅葉

池泉回遊式庭園である鏡容池では、6月中旬から8月末にかけては満開の睡蓮がお出迎え。池全体を見渡せるベストポジションを探して。

参考になるサイト
龍安寺【日本の世界遺産】

龍安寺Ryoanji
右京区龍安寺御殿ノ下町13 ℡075-463-2216
拝観時間 8:00AM~5:00PM
12~2月末は
8:30PM~4:30PM
拝観 一般500円
小・中学生300円

名庭で有名な「西芳寺」通称「苔寺」は、その名の通り一面が苔というイメージが強い。が、実は池泉回遊式庭園と枯山水庭園の二大庭園が競演している。
その成り立ちには、もともと別荘にしていた聖徳太子、奈良時代に禅寺として開山した行基、いまの庭園のベースを作った夢窓疎石など、各界のビッグネームが名を連ねる意外性!
また、現存しない楼閣・瑠璃殿は足利義満&義政を夢中にさせ、「金閣寺」舎利殿や「銀閣寺」観音殿のモデルになった、という華々しい経歴もある。
そんな背景を聞いてもやっぱりお目当ては「苔」ならば苔が一番美しい梅雨の拝観をオススメする。しかし、西芳寺の庭園は予約参拝制の閉ざされたお寺。
往復はがきで申し込み、限られたチケットで受付をパスすればようやくVIPの仲間入りだ。

西芳寺の見所
もとは聖徳太子の別荘だったと伝わるが、奈良時代に行基が法相宗の寺として開山。暦応2年(1339)に作庭の名手・夢想疎石が庭を整え臨済宗の禅寺として再興した。
本来は枯山水庭園であったが、一面苔に覆われたのは江戸末期以降。1977年より参拝は葉書での事前申し込み制。

西芳寺の枯山水
境内の上段にある枯山水庭園。池泉回遊式の下段に比べると知名度も人気も劣るが、作庭に込められた想いは別格だろう。
最初は楽に登れるが上に行くほど厳しい禅の修業の過程と、悟りを極めた後のおだやかさを見事に表現。
枯山水としては日本最古の庭で天龍寺や金閣寺など有名寺院の枯山水のお手本にもなっているのだ。庭マスターをめざすなら見逃せない。

西芳寺の奇跡
庭園を覆う120種余りの苔は、実は意図して植えられたのでは無く、応仁の乱で荒廃した庭に偶然生え始めたもの。
が、苔だけに夢中になって歩かないように。心字形の黄金池を中心とした池泉回遊式庭園には、鶴石や舟石など作庭した夢窓疎石の構造が点在している。
また、池の東側に建つ茶室・澤北亭の窓から、掛け軸のように苔庭の景色を切り取って愉しむのも一興。

西芳寺の東屋
黄金池の南側にある湘南亭は、千利休の女婿・千少庵が健立した茶室。といっても閉鎖的なものではなく、板張りのテラスは池の方を向き、反射した光が茶室に入る開放的な造りになっている。
幕末には岩倉具視が隠れ住んでいた、というがその滞在は意外と快適だったかも。

西芳寺の参拝の申し込み方法
西芳寺の参拝をするには事前に予約することが必要となってくる。
冥加料3,000円
※拝観は予約参拝制。
往復葉書に参拝希望日・人数・代表者名(住所・氏名)を書き、希望日の7日前までに必着のこと。

参考になるサイト
西芳寺【日本の世界遺産】

西芳寺Saihoji
西京区松尾神ヶ町56 ℡075-391-3631
拝観時間 予約参拝
拝観 冥加料3,000円
※拝観は予約参拝制。往復葉書に参拝希望日・人数・代表者名(住所・氏名)を書き、希望日の7日前までに必着のこと。

最新記事【2008年6月29日】

数多くの世界遺産を有する京都。中でも最も"普段遣い"されているであろうスポットは「下鴨神社」だろう。
参加型の祭事も多いが一番の理由は参道脇にに広がる原生樹林たたずむ森にある。
春夏秋冬、また時間帯によって様々なな顔を覗かせる太古の森は、いつ行っても新しい発見を与えてくれる頼もしい存在だ。この森を愛する京都人は数多い。しかし、特別な場所ではなく、あくまでも生活圏内。参道を歩いていると自転車に乗った学生やおばちゃんが横をスイーッと横切っていく。
「世界遺産を見に行くぞ!」というような気負いはいらない。澄んだ空気を吸い込みながら森をブラブラ歩いて、ついでに参拝神社を後にしたらあの豆餅を買ってそして・・・。
そう、私たちにとって世界遺産の下鴨神社を庭遣いしているご近所さんは、心からうらやましい存在なのだ。

下鴨神社の見所
祭神は「上賀茂神社」の祖父神と母神ゆえ、正式名称「賀茂御祖神社」。「上賀茂神社」とともに京都で最も古い神社のひとつで、二社合同で開かれる5月15日の葵祭でも全国的に有名。参道の原生林「糺の森」は地元人のオアシスでもある。十二支の守護社、縁結びの相生社などのご利益も魅力的。

下鴨神社の近くに新スポット
世界遺産は変わらない? 否、日々進化中だ。例えば、新しく整備された下鴨神社の散策路は参道から見る糺の森とは違う森の顔に出会える新ルート。
73年ぶりに再建された直会殿も通常非公開だが、白木の社殿が雅びやかな趣を放っている。
変わり行く世界遺産の姿をその目に。

下鴨神社の葵祭と納涼古本まつり
数々のイベントの会場でもある糺の森。その代表格はやはり葵祭と納涼古本まつりだろう。普段は閑静なこの森も、この日ばかりは祭りのねらい客でごった返す。また、普段は入れない社殿などの特別公開も定期的に開催。マメにチェックして参加すべし。

5/15日は葵祭
平安時代から続く京都三大祭のひとつ。平安貴族装束をまとった行列が下鴨神社を経て上賀茂神社へ向かう。
納涼古本まつり
本の虫にはたまらないであろう古本市も開催。参道脇に約40店舗の露天が軒を連ねる。期間は8月11~16日。
特別公開中のお台所
神前へ供える料理・神饌(しんせん)を調理する社殿。神社で現存するのは珍しく貴重な建築物。入場料500円。

下鴨神社の御手洗の池
神水で手足を洗い、無病息災を祈る下鴨神社の御手洗祭が行われる土用の丑が近づくとなぜか水かさがます...と伝わる御手洗の池。現在は見られないが、お馴染みのみたらし団子は、この池の底からふつふつと沸いてきた泡を模して作られたもの。
祭りではみたらし団子も奉納される。

下鴨神社の比良木社
地主神・須佐之男命を祀る「出雲井於神社」。周りに植える植物の葉がなぜかずべてギザギザになることから、別名「比良木社」(柊社)とも呼ばれる。
なんでも地質の関係で極まれにこういった現象が起こるらしいが、見られるのは境内ひろしといえどここだけ。

下鴨神社の連理の賢木
中央で固く結ばれ、一つになった二つの木...。これは連理の賢木(れんりのさかき)と呼ばれ、縁結びのご利益がある相生社のシンボル的存在。
しかも木が枯れてもまた同じ木が境内に生えるという伝説があり、現在はなんと4代目とか。誰にも引き裂けない2人の愛。なんてロマンチック!

下鴨神社の相生社
恋愛成就のシンボル・連理の賢木を持つ相生社。
脇の絵馬掛けには切ない想いが鈴なりに。しかも横の授与所で購入できる専用絵馬は目隠しシール付きとプライベートへの配慮も万全だ。
絵馬に想いを込めたら、看板に書かれた作法に従い参拝を。
当たると評判の縁結びおみくじもご一緒に。男性用は衣冠束帯、女性用は十二単というデザインも逸品。

下鴨神社の干支の社
本殿前にある言社。ご祭神である大国主神が持つ7つの名前と同じ7つの社からなり、干支の守り神として信仰されている。
ご利益は商売繁盛と事業繁栄。十二支のキャラクターはいずれも可愛いが、自分の干支での参拝しかご利益はないので、お間違いないよう。
十二支各500円で、カラーは紫と赤の二種類、ほか、授与所では縁起物の販売も行われている。

参考になるサイト
下鴨神社【日本の世界遺産】

下鴨神社Shimogamojinja
左京区下鴨泉川町59 ℡075-781-0010
拝観時間 6:00AM~5:00PM
拝観 境内参拝自由

神話の舞台でもある京都最古の神社なだけあり、神秘の社というイメージが強い「上賀茂神社」。が、なんと。3年前から通常は立ち入れない神域、国宝の本殿と権殿が連日特別公開されているという。
それも神職のアテンド付きで。
とはいえ、神様が実際に祀られている本殿はやや見えづらい造りになっているため、本殿と並んで建ち、かつまったく同じ造りの権殿が主な鑑賞ポイントとなる。
説明を受けながらじっくり鑑賞してみると、コレが実に興味深い。同じ社殿が2棟ある理由や21年に1度の「式年遷宮」のこと、社殿にこめられた古人の知恵、そして悲しいかないまや廃れつつある日本人の豊かな精神性に気付かされるのだ。
神様にお近づきできる絶好のチャンス。縁あって巡ってきたこの機会に、その風雅な姿を目に焼き付けよう。

上賀茂神社の見所
正式名は「賀茂別雷神社(わけいかづちじんじゃ)」。その名の通り、雷の神威によって約を祓い、都の鬼門を守る社として平安時代から信仰を集める。対社「下鴨神社」の糺の森に対し、一ノ鳥居をくぐれば広大な芝生の馬場!
5月5日の賀茂競馬や10月の笠懸神事など馬との縁が実に深い。

上賀茂神社は外国人熱烈歓迎
特別公開の所要時間は30分ほど。少人数なら事前予約は要らないので気軽に参加したい。外国人観光客にはなんと、英語で説明、と世界遺産きっての国際派ない一面も。受付は10:00AM~4:00PM(土・日・祝~4:30PM、5/5&9~17は休み)。初穂料=大人500円。

上賀茂神社の立砂
境内でも一際異彩を放つ、摩訶不思議な円錐形の物体...。神職が4時間もかけ形成するこの巨大な砂アートの作品名は「立砂」。かつて神が降臨される際の目印として使われていた神木の名残で、立砂の先端には2本と3本の松葉がそれぞれに刺さっている。
対になっているのは神社と縁の深い"陰陽道"の思想から。「浄めのお砂」として500円で授与。

上賀茂神社の名工芸
この度、約200年ぶりに江戸から里帰りした別名賀茂人形とも呼ばれる「木目込み人形」。
上賀茂神社の宮大工、高橋忠重が余った神殿の木材や神主の衣装の切れ端をリサイクルして制作した木彫りの人形で、上賀茂神社発祥の伝統工芸とされる。現在は高倉殿でも展示中。

上賀茂神社の名工芸

参考になるサイト
上加茂神社【日本の世界遺産】

上賀茂神社のオフィシャルサイト
http://www.kamigamojinja.jp/

上賀茂神社Kamigamojinja
北区上賀茂本山339 ℡075-781-0011
拝観時間 楼門内の参拝
8;00AM~4:00PM
(土日祝~4:30PM)
拝観 境内参拝自由

真言密教の世界を色濃く残す山上の紙醍醐と、きらびやかな伽藍が立ち並ぶ山麓の下醍醐から成る"山1コ"丸ごとが醍醐寺。
総面積200万坪、所蔵国宝&重要文化財だけでも4万点というスケールで、京都の世界遺産の中でも重鎮たる存在感。
ミーハーに写メととりまくるのも恐れ多いような・・・。
いや、身構えることなかれ。貞観16年(874)に開山、延喜7年(907)に醍醐天皇の御願寺となってから歴代皇族・貴族のファンは尽きず、後の豊臣秀吉などはこの地に700本の桜を移植して「醍醐の花見」を催すほどの惚れ込みよう。秀吉好みに造られたという三宝院唐門は今でこそ年月を経た渋い姿だが当時は黒漆地に金色の紋を施したコントラストで度肝を抜いたのだとか。派手好きな太閤もおおはしゃぎ!とくれば、スター級の国宝にも気楽に歩みよれそうじゃない。

醍醐寺の見所
貞観16年(874)に空海の孫弟子・理源大師聖宝が創建。醍醐天皇の御願寺となり、天皇や貴族の庇護を受けて現在の上醍醐、下醍醐に広がる大伽藍が整備された。京都最古の木造建築である五重塔をはじめ国宝・重要文化財などの所蔵数はケタ違い。豊臣秀吉が「醍醐の花見」を開いた場所としても有名。

醍醐寺の五重塔
醍醐天皇の冥福を祈り、天暦5年(951)に完成。多くの伽藍が応仁の乱で焼失するなかかろうじて残り、醍醐寺唯一の創建当時の建物で、京都府下最古の木造建築という国宝中の国宝となった。
高さ約38mの塔内部には柱、壁一面に両界曼荼羅図が描かれる優美さ。
残念ながら内部の国宝の板絵は拝観できないが、当時の極彩色の真言密教世界は心の目でこそ再現しうるということか。

醍醐寺の勅使門
正面も横顔も、寝顔も美しければこそ真の美女...かはさておき、三宝院の唐門(別称:勅使門)はまさに「どこから見ても」必見な国宝。唐破風のS字カーブを正面でなくサイドに付いた平唐門で、扉の桐&菊のW紋がインパクト充分。
どの角度から見てもコンプリートな美貌ぶりだ。なのに、当時は朝廷から使者を迎える際にだけ開かれたと言うのだから、なんとも贅沢。

醍醐寺の紅葉狩り&花見
「醍醐の花見」にあわせて秀吉が設計した三宝院の庭園だが、秀吉は同年の8月没。
「醍醐の紅葉狩り」は後世のわれわれに残された。さすがはこの庭、回遊式庭園ながら書院から眺めても絶景という心憎い演出。
さらに巨大な「藤戸石(ふじといし)」を聚楽第(じゅらくだい)から運び込む力の入れよう。足利義昭、織田信長、秀吉...と天下人の手を経てきたこの名石を見るだけでも眼福。

醍醐寺の醍醐水
上醍醐参拝者へのご利益の一つが、山上のお堂で飲める「醍醐水」。
いまは昔、開山の理源大師聖宝が笠取山に登ると、なぞの老人(横尾明神)が現れ、この湧き水を飲んで「あぁ醍醐味なるかな」と言って消えたというスピリチュアルな逸話あり。いかに美味かは頑張った者のみ堪能されたし。

醍醐寺のオアシスを拝見
総門→桜の馬場→仁王門と抜ける参道は、メイン・プロムナード。桜や紅葉の季節は人の洪水となるここも、普段は小学生が通学路に使っていたり地元人が散歩していたりと、羨ましくも世界遺産普段使いのスローな空間。ゆえに新緑の季節が穴場なり。

醍醐寺の醍醐の花見
「醍醐寺といえば桜」のイメージは、最晩年の秀吉が一族郎党や女性1,300ニンを醍醐寺に引き連れて催した、日本史上に残る大花見から定番化。
平安時代から醍醐寺は桜の名所として有名だったが、秀吉はさらに数百本の桜を移植して、天下人らしい荒技で完遂させたのだ!
で、いまも例年1,000本の桜が咲き乱れる名所に。
まずは、三宝院の大玄関前、樹齢150年の枝垂れ桜が必見か。

醍醐寺の冬景色
仁王門をくぐれば金堂、五重塔、不動堂、大講堂といった下醍醐の建物群が終結。むろんそれぞれが独立して、美しいものだが、×梅・桜・イチョウ・雪景色...とシーズナルな掛け合わせを楽しんでも◎。
桜の季節は桃山絵巻の華麗さ、紅葉期はゴージャスそのものながら、冷え込む冬は一転、壮厳ムードに拍車がかかる。

醍醐寺と真言密教
醍醐寺はそもそも笠取山の山上にある上醍醐が発祥。
ここは全国から修験者が集う真言密教の聖地で、西国三十三観音霊場の准胝堂もあり、霊場中最大の難所なのである。
やまに入れば快い森林浴ノリもつかの間、心臓破りの坂、肉離れの急階段を経て、1時間で(慣れた人は)伽藍に到着。山上にご利益が多いので、是非果敢に挑戦していただきたい。

醍醐寺オフィシャルサイト
http://www.daigoji.or.jp/

醍醐寺Daigoji
伏見区醍醐東大路町22 ℡075-571-0002
拝観時間 9:00AM~5:00PM
(12月第1日曜~2月末は~4:00PM)
受付各30分前まで
拝観 三宝院拝観料
一般600円
高・中学生300円

伽藍入山料
一般600円
高・中学生300円

霊宝館入館料(春・秋特別公開)
一般600円
高・中学生300円
すべて小学生以下無料
※2施設、3施設共通券有り

仁和寺のイメージ仁和寺にいけば、「うわー、光源氏でも出てきそう!」。そんな妄想が広がる宮廷モード100%の御殿。お寺なのに、なぜここに?
答えは、このお寺が今まで辿ってきたプロセスにある。開基・宇多天皇が主家後に住居として使っていたことから、「御室御所」とも呼ばれていた「仁和寺」。
その後も明治時代まで皇族が歴代の住職を勤めていたことから、当時の面影が随所に残だ。それは御所造り風と称される、この仁和寺御殿の建築様式を見れば一目瞭然。御所だった建物を寺仕様にリノベーションする為、一部屋根がシンプルにされたものの雰囲気はほぼそのまま。また、御殿からも見える中庭に面した門は、天皇の意思を伝達する為の門で、その存在こそ天皇家との縁の深さの証!お寺じゃないみたいなお寺じゃないみたいなお寺で貴族気分を満喫とは、なんともお得な話。
仁和寺のイメージ

仁和寺の見所
宇多天皇が仁和4年(888)に完成させて以降皇族との縁が深く、正式名称は「仁和寺御所跡」。
退位後の宇多上皇がすんだ僧坊の跡地には、いまも大正3年に完成した近代初期の宮延び風寝殿「仁和寺御殿」が建つ。境内には金堂や五重塔が建ち並び、春には高さ2mほどの御室桜とのハーモニーが見事。

仁和寺の勅使門
天皇から特使にだけ開かれた勅使門は、細やかな装飾がちりばめられた、宮殿風の華やかな趣が最大の魅力。
鳳凰、牡丹唐草などの古典的なモチーフと、近代的な文様とが混在する欄間の透かし模様は、柵間際まで近づいて見るほどに美しく、欄間越しに南庭を垣間見えるのもまたオツなもの。通常は閉鎖されているが福王子神社の9月の大祭の神興の時のみ開門されるのでぜひチェックを。

仁和寺の時代へワープ
御殿の中でも、南庭に右近の橋・左近の桜を設け、公事を行う場として再現されたしんでんは、まさに時代劇のワンシーンさながらの雰囲気。
訪れる人もここがお寺であることを思わず忘れてしまっている様子。劇中人物になりきってか?背を柱に預けつつ右膝を立てる、いわゆる「安部晴明ポーズ」なサボリーマンや、紫の上気分でしずしず歩く女子が出没。分かりますとも、その気持ち。

仁和寺の御室桜
仁和寺といえば御室桜。「わたしゃお多福御室の桜 鼻(花)が低ても人が好く~」と歌われるほどの背丈の低さ(約2m)が特徴で、京都でももっとも遅いとされる遅咲き。
敷地内植えられたやく200本の桜も同じ目線で楽しめる、とはなんという贅沢。

仁和寺でお花見気分
仁和寺で万年春心地~♪ なのは境内中に施された花モチーフのお陰。神殿の欄間に刻まれた桜の透かし模様、瓦屋根には桜の彫刻と花真っ盛りだ。注目は霊宝館の両扉で、桜に天皇家の象徴である菊が重ねられた彫刻に、改めて仁和寺の歴史を感じたり。

参考になるサイト
仁和寺【日本の世界遺産】

仁和寺のオフィシャルサイトは
http://web.kyoto-inet.or.jp/org/ninnaji

仁和寺Ninnaji
右京区御室大内33 ℡075-461-1155
拝観時間 9:00AM~4:30PM
(受付:~4:00PM)
拝観 御殿・霊宝館共通拝観料
一般800円
高校生700円
中学生500円

最新記事【2008年6月26日】

西本願寺「お西さん」と親しまれる「西本願寺」。
街中の立地も手伝って、地元民からの支持ハアツい。しかし、その牧歌的イメージを覆すような衝撃が待っていた。
書院へ一歩踏み込めばちょっとご近所さんへ・・・なんてノリを謝りたくなるような、豪華な意匠がズラリ。天井まで細やかな装飾満載の「北狭屋の間」を進むと、孔雀が両サイドに佇む「孔雀の間」。来客を迎える為の白書院はどこもかしこもキラッキラだ。
この金ピカをこよなく愛した人物といえば・・?
そう、ご存知太閤豊臣秀吉。「西本願寺」は各地を転々としていた天正19年(1591)、秀吉から寺地を寄進されてこの地へ移ったため素朴なお堂のその裏で、めくるめく「オレさまワールド」が展開されたというわけだ。西本願寺の特別公開にしか見ることのできないので必ず見てみよう。

西本願寺

西本願寺の見所
浄土真宗本願寺派の本山で、文永9年(1272)の開山。天正19年(1591)に豊臣秀吉の寄進を受け現在の寺地に。
城郭を思わせる壮大な寺院ながら、優雅な大書院、最古の能舞台、秀吉の別邸・飛雲閣など華麗な桃山文化も見所。2012年に宗祖の750回大遠忌を迎える。

西本願寺の豪華さを実感する
豪華さを極める書院の中でも、一際ゴージャスっぷりがまぶしい白書院。手前では左右に配された孔雀たちがお出迎え。
見上げれば一目で相当な技術が駆使されたと分かる瞬間。さらには三の間から一の間へと、進めば進むほどその絢爛さに拍車がかかる仕様。
その証拠の1つとして天井にご注意。一の間には折上格天井(おりあげこうてんじょう)と呼ばれる造りが施されていてコレ、エラい人の部屋でしか見られない意匠なのです。

西本願寺のシュールな事故
内側側面に描かれるのは、中国の賢人「許由と巣父(きょゆうとそうふ)」の故事。
時の帝が許由に位を譲ろうとしたが、許由は断り、申し出を聞いた耳を川で洗浄。
それを見た巣父は、そんな水は牛も飲めないと牛を連れて帰ったという。
権力者に迎合しない生き方こそ◎って教えは、今の日本にも言える?

西本願寺の枯山水
中国にある渓谷「虎渓」を枯山水で表現。バックに控える御影堂(ごえいどう)の屋根までも○○に見立てた借景とし、庭だけで完結していないスケールの大きさには驚きだ。
使用する石を以前いた聚楽第(じゅらくだい)から取り寄せたことからも、秀吉の並々ならぬ気合が感じられる。

西本願寺の非対称な飛雲閣(ひうんかく)
金閣寺、銀閣寺と並び飛雲閣は京都三名閣の一。1階はすべて障子で覆われ、その障子がカギ。
なぜか、風速40mまで耐えうる事実に加え、「自身の影を外敵も大きくみせる」「逆光で顔を見せず相手に威圧感を与える」など、秀吉により計算し尽くされた効果が!

西本願寺の絢爛な北能舞台
能役者であれば、死ぬまでに一度は立ちたい、と願うほど高い評価を得ている北能舞台。
見た目は普通、何がそんなにいいの? と侮ることなかれ。
簡素に見える造りは、光や風の加減まで考えられての結果。
床下には壷を入れて音響を調整し、その完成度に観世流の家元も脱帽だとか。

西本願寺の見所名称
西本願寺の太鼓楼
境内東北隅にあり、時報・説教の始まる時間に叩かれた2個の太鼓が現存する。
新撰組ゆかりの地としても有名です。

西本願寺の国宝・唐門
唐門正面梁の間にキリンがいるって知ってた?
唐門は日暮門とも呼ばれています。

御影堂向拝
向拝の左右2ヶ所の天水受けを4人の「天邪鬼(あまのじゃく)」が支えています。
御影堂再建以来370年以上、ずっと支えてきたことになります。

宗祖降誕会
親鸞聖人の生誕を祝う法要。
南能舞台で祝賀能、飛雲閣で抹茶接待などが行われます。

大イチョウ
京都市指定保存樹。樹齢約300年。
御影堂前の"逆さイチョウ"も見事。晩秋の境内を黄金色に彩ります。

お煤払い
京都の冬の風物詩。
1年間たまったお堂のほこりを払いだす行事。
どなたでも参加できます。

参考になるサイト
西本願寺【日本の世界遺産】

西本願寺オフィシャルサイト
http://www.hongwanji.or.jp

西本願寺 Nishihonganji
下京区堀川通花屋町下ル ℡075-371-5181
拝観時間 6:00AM~5:00PM
3・4・9・10月は5:30AM~5:00PM
5~8月は5:30AM~6:00PM
拝観 境内拝観自由

最新記事【2008年6月24日】

金閣寺イメージ金閣寺を立てたのは足利義満武家の政治を確立した頃の足利義満は日本で一番スゴイ男だった。
ほしいものはみんな手に入れ、後は陰で政権を操りながら余生を楽しもうか。そんな時に立てたのが北山殿である。悠然と輝く金閣寺は、現代人もびっくりする派手さ。

けれど、よく見てみると金箔を貼られているのは2層、3層のみで、初層は地味な感じである。
実はコレには意味があって義満は各階をどうゆう様式にするかで自分の中の序列を、極端にあらわしていたといわれている。

義満が極楽をイメージして造営した巨大なお屋敷は、公家と武家の文化が重なりあう北山文化の象徴。金閣寺イメージ


没後に寺院となり、シンボルの金閣は昭和25年の放火で焼失の憂き目に遭ったが、昭和62年の修繕時には金箔が5倍の厚塗り顔で戻ってきた。転んでもただでは起きない金閣寺

金閣寺に帰依する禅は最上階
金一色のお堂にしか見えない「金閣寺」は、実は3部構成。初層は貴族好みの寝殿造りになっている。驚くのは、貴族の住まいを意味する寝殿造りが一番下という事実。天下を治めた義満は、貴族を自分より下に見て、自らが帰依していた禅宗フロアは最上階にもってきた。いつの時代も、エライお方を見晴らしのいいところにお通しするのです。

金閣寺の見所
臨済宗祖国寺の禅寺。応永4年(1397)、足利義満が公家の山荘を譲り受け北山殿を造営したことに始まる。義満没後に「鹿苑寺」の名称になり、「金閣寺」は俗称。
金閣(舎利殿)は初層の法水院(ほうすいいん)、二層の潮音洞(ちょうおうんどう)、三層の究意頂(くっきょうちょう)という建築様式の異なる三層の楼閣で室町文化の象徴。

知っとこ金閣寺
一階:寝殿造り
義満を祀る法水院、平安貴族の住居のつくりで、池に浮かべた船もつけるようになっている。

2階:武家造り
内部は仏間ともう一間。武家書院造りは潮音洞と呼ばれる。岩屋観音と四天王を安置

3階:仏殿造り
究きょう頂と呼ばれる禅宗様式の層。上部が曲線の花頭窓が象徴的。仏舎利を安置する。

金閣寺の方丈そばの五葉松、西方浄土の案内舟
方丈の北側にある書院の庭には、京都三松の一つに数えられる五葉松が植わり、一説には、盆栽だったものを義満自らが移植したと伝わっている。この松には「陸舟の松」という名前があり、いわれて見れば舟の形に見えなくもない。帆先が西をさすような枝ぶりに育てたのは、西方浄土へ向かっている舟に見立てたからだとか。屋敷内の松にさえ極楽を絡めるとは、相当な願いである。

金閣寺の鳳凰
鳳凰は中国の伝説の鳥で、気高いお姿から想像できる通り、
瑞鳥として日本に伝わっている。
西方浄土を映した「平等院」阿弥陀堂に二羽が降り立っているのは
わからくもないが、金閣はもともと釈迦の骨を安置する、どちらかと言えば
落ち着いた印象になるはずの舎利殿である。
金色コーティングだけでもド肝を抜かれるのに、その頂に鳳凰とは。
義満のゆるぎない独自の路線を感じます。

金閣寺の曇らない大きな鏡鏡湖池
「金閣寺」が彼岸の具現といわれんがら、同じ目的の「平等院」
とすぐリンクしないのは、その規模があまりに違うためである。
金閣の前に広がる鏡湖池(キョウコチ)の広さは、6,600㎡。
この池を中心に池泉回遊式、船遊式庭園が広がっている。
義満は、島と諸大名が献上した石などを配し、池の景観を完成させている。
金閣の美しさを最大限引き出す鏡湖池は、日本の宝にとって必需品なのだ。

金閣寺境内の絶景茶室の夕佳亭
禅と茶道はワンセット。臨済宗の「金閣寺」にももちろん
時代の名作茶室が残っている。
夕佳亭は、義満がなくなって200年以上たった
寛永元年(1624)、当時の住持が後水尾上皇を迎えるために造らせたものだ。
安民沢(あんみんたく)の東側の小高い場所から見る金閣は、夕日に映えて
特に美しいという意味からこの名前が付いたといわれる。
現在の建物は明治期の再建、平成9年に解体工事もうけている。

金閣3層目からの眺め
金閣の3層目から見う眺望は、往時とそうは変わっていない。
池を囲む植え込みの向こうは遮るもののなうい空。
邪魔なものが何一つない眺めは、当時の義満の立場そのものとも
いえるのではないか。
池に目をやれば、大名達が義満様へ、I like youの気持ちを託して
届けた石が浮かんでいる。
一度据えたら一生ものの石はどれも立派。
辛口の滝沢馬琴でさえ「いい石があるな」と思わずほめている。

金閣寺【京都ガイド】
金閣寺【世界遺産】
金閣寺【日本の世界遺産】

金閣寺のオフィシャルサイト
http://www.shokoku-ji.or.jp/kinkakuji

金閣寺(鹿苑寺)Kinkakuji
北区金閣寺町 ℡075-461-0013
拝観時間 9:00AM~5:00PM
拝観 一般400円
小・中学生300円

アドセンスイメージ画像2

世界遺産 日本の魅力

世界遺産の日本の情報を中心に紹介しています。見所たくさんの京都の社寺を様々な角度からご紹介しています。歴史上の価値ある建物が数多く密集している土地でもあります。
一日中回っても回りきれないほどの数ですので宿泊しながらお寺めぐりをすることが一番の楽しみ方だと考えます。