銀閣寺
銀閣寺とかかわりの多い人物室町幕府8代将軍義政は偉大な祖父義満恐怖政治をした父義教そりの合わない妻日野富子早世の息子義尚のなかにあり実に悩ましかった。
政治家としていまいちだった彼は、美の探究を心のよりどころとした。足利家はもともと美術品には興味津々の家柄で美意識の高さは生来のもの。生まれてこの方、最高峰のものばかりに触れてきた環境も審美眼を磨く助けになったに違いない。美に囲まれる生活は、義政の今生の幸福。その理想を形にしたのが東山殿(銀閣寺)である。隠栖地として造営した東山殿(銀閣寺)は、当時最高の建物、庭、絵画工芸品を集めたお宝屋敷。構想には20年をかけたとか。
目玉は銀閣、他には創建当初の東求道、あまたの妄想が膨らむ銀沙灘、向月台なども。何度通っても飽きないよさは、一流ミュージアムの魅力にも通じる。
銀閣寺の見所
風流を好んだ室町幕府8代将軍足利義政の隠栖の地で、没後に禅寺となる。正式名は「慈照寺」。
現在の書院の手本となった同仁斎や銀閣(観音殿)は政義時代の遺構で、東山文化独特のわびさびが感じられる。本堂前に広がる砂で作られた向月台・銀沙灘(ぎんしゃだん)や、与謝蕪村や池大雅ら大家による襖絵も味わい深い。
銀閣寺の書斎サイズは四畳半
義政の持仏堂として建立された東求堂。
内部は四つに分かれ、阿弥陀如来、義政像を安置する部屋のほか、義政の書斎で、現存する最古の書院座敷「同仁斎(どうじんさい)」も残る。
部屋の大きさは四畳半。付書院の飾り棚には茶道具などを並べていた。今では珍しくない四畳半サイズと付書院のお飾りの元祖となったこの部屋は、義政が気の合う仲間と集うサロン的な場所だった。
銀閣寺の生みの親は貧欲な演出家
美しいものを見たり、集めたりするのに一番情熱を燃やした義政。立派な屋敷にも足を運び、東山殿を造営するとなると手本の金閣寺にも何度もあがるマメさもあった。
芸術に対する行動力と優れた審美眼はピカイチ。
いい物をそろえるのにありがちな多少の困難はものともせずの男。
銀閣寺の襖キャンパス
義政はド派手路線の祖父を持つ反面教師にしたのか、とにかく渋く、侘びさびの趣である。
成金趣味にならなかったのは、本人のセンス+周りの助言。
周囲の文化に、知識に明るい人間をおき、その助言を素直に聞き入れていたのだ。
義政の意向を酌んでか、彼亡きあとに描かれた襖絵も、与謝蕪村や池大雅、奥田元宋などの巨匠が描いている。
銀閣寺の不思議の庭
銀閣と東求堂の間の銀沙灘&向月台は、白川の砂で造った庭。モダンな向月台のフォルムに、義政イズムを感じたいところだが、これが造られたのは江戸時代後期だとか。
神仙世界を主題にしたお庭のミズテリーゾーンは、姿形にも時代ごとに変遷が見られ、由来も作者もいまだに不明だ。
一説には、錦鏡池(きんきょうち)に積もった山盛りの白砂を利用するためとも伝わるが、真偽のほどは定かではない。
銀閣寺の50mエントランス
寛政12年(1800年)再建の総門を入ってからは、全く見通しのきかない生垣をめぐらせている。お宝(銀閣寺)が見えないと余計に気持ちが高ぶり、思わず足早になるかもしれないが、そこは我慢を。
義政が東山殿で表現したかったのは、極上のアートに囲まれた浄土の世界。
俗塵の戯れを払う装置として50mは必須かも。美しく整えられた銀閣寺垣は、椿が開花する3~4月頃が見ごろ。
銀閣寺に入魂
義政が亡くなってから完成した銀閣。もっとも銀閣と呼ばれるようになったのは江戸時代からで、当初は観音殿で通っていた。
「金閣寺に似てるな」と思ったあなたは正解。
銀閣は祖父の金閣寺にならい、さらに祖父も参考にした西芳寺の瑠璃殿にならっているのだ。義政は、おじいさん同様、西芳寺が大好きだった。
それを表すように、造営当初の東山殿は瑠璃殿にそっくりだったとか。
銀閣寺と華道の開花
茶を喫し、香りを聞き、歌を詠んだ隠遁生活、そこに開花したのが東山文化。
文化文化芸術方面にかけては、当代きっての才能をみせた義政は、関係者にとって最上の人であり、崇拝の対象であった。
生け花の流派の一つ、無双真古流は義政を流祖あがめている。無双真古流とは、江戸時代に九州で興った流派。
流祖が義政ゆえに、銀閣寺が大本山になる。。そんなわけでお花柄アイテム急増。
参考になるサイト
銀閣寺【日本の世界遺産】
| 銀閣寺Ginkakuji | |
| 左京区銀閣寺町2 ℡075-771-5725 | |
| 拝観時間 | 8:30AM~5:00PM 12~2月末 9:00AM~4:30PM |
| 拝観 | 一般500円 小・中学生300円 特別公開 本堂・東求堂1000円 本堂・東求堂・弄清亭2000円 ※要予約・要問合せ |
仁和寺にいけば、「うわー、光源氏でも出てきそう!」。そんな妄想が広がる宮廷モード100%の御殿。お寺なのに、なぜここに?
「お西さん」と親しまれる「西本願寺」。
金閣寺を立てたのは足利義満武家の政治を確立した頃の足利義満は日本で一番スゴイ男だった。